BACK TO DAIRY 日記トップへ戻る



椎間板ヘルニア復活記

写真 野に咲く花

僕はまた、歩けるのだろうか。
ほんとうにまた、歩けるのだろうか。

カメラ一台、レンズ一本。
最重量の不安と、最軽量の機材を背負って。

椎間板ヘルニアの悪夢によって
写真を撮れなくなってから9ヶ月。

「 野に咲く花 」
これが僕の、再起へのファーストショットです。

事情を知る専門家は、懐疑的な意見が多数です。
どこまでできるのか、僕にも全く分かりません。

しかし僕は、
とにかくはじめの一歩を踏み出しました。

2005年8月10日。
山梨県西沢渓谷にて。
僕の挑戦は、ここからまた、始まります。


Presented by Naruo Ohno
Copyright © Naruo Ohno All Rights Reserved.


2005年8月11日
 術後初めての撮影行の日が来た。入院・手術した某病院の先生と撮影に行く約束をしていたのだ。この先生は写真好きで、しかも非常に面倒見がよく、入院中からとてもお世話になっていた。僕を励ますためかどうか、「撮影に行きませんか?」と誘ってくれたのである。目標地は、「そう遠くなく、日帰りで行ける」との理由で、山梨県の西沢渓谷となった。
 過去の僕の撮影はいつも単独行で、当然誰かと一緒に撮影に行ったことなどない。写真を撮ると言う行為は己と向き合うことだと思うし、それゆえ趣味感覚で遊びに行くと言うスタイルをどうしても許容できなかったのだ。
 しかし今回は折角のお誘いでもあり、また僕が写真教室でもすれば、先生に恩返しができるかも知れないという気持ちもあって、喜んで一緒に出かけることにした。同行したのは僕とその先生、そしてそこの病院に実習に来ていた学生さんの計3名である。
 この日はもうひとつ、賭けのようなことがあった。それは、「クルマで出かけること」。僕の国内での撮影スタイルでは、クルマの運転ができるようになることが必須の条件だからだ。
 しかしクルマの運転といえば、腰には最悪の条件とも言われる。まだ術後2ヶ月と10日。普通ならまだ早い!ということになるだろう。だがストレス溜まりまくりの僕は、「腰に悪いから、とか、怖いから、と言って尻込みしていては、何もできないままで終わってしまうじゃないか!」と強引に?思い込み、自ら「僕のクルマで行きましょう!」と提案したのだった。
 当たり前のことだが、ヘルニアを患った昨年の11月以来、クルマはほとんど乗っていなかった。というか、激痛のあまり乗れなかった。よって、これも当然のこととしてバッテリーあがりを起こしていた。冬場の過酷な撮影を想定し、昨年12月に取り替えたばかりの新品なのに(12月には撮影に行くつもりだった僕は馬鹿だろうか?)。。。
 恥を忍んでJAFに電話し、車庫からあっさりと!救出してもらう(恥)。愛車には蜘蛛の巣多数!親切丁寧なJAF隊員に「だいぶ乗ってないようですね。。。」と、哀れみの言葉をかけられてしまった。久しぶりに動いた愛車は、冬用スタッドレスタイヤを装着したまま。(ノーマルタイヤに交換したいところだが、重くて持てないので、未だ交換不能です。。)
 そんなこんなで出かけた撮影行。我が愛車は片道3時間、150キロあまりを無事走破し、西沢渓谷に到着。僕はカメラ一台とレンズ一本、極小ミニ三脚1本という最小限のセットを背に、なんとかかんとか歩くことができた。その歩行距離約10キロ。結果としては大成功であったと言える。
 これはとにもかくにも二人の同行者のおかげである。二人は僕の腰を最大限に気を遣ってくれ、また励ましながら導いてくれた。僕一人の単独行ではまずそこまでたどり着けなかったし、歩くこともままならなかっただろう。まずこのことに感謝しなければならない。 僕は僕でささやかな写真教室を開催したのだが、そんなものでは恩返しきれないほど、二人に助けてもらった。この二人の優しさ、思いやりには本当に感謝している。いつか恩返しができるよう、また第一線に復帰して、もっともっといい写真教室をしてあげなければ!と心に誓った。
 肝心の撮影だが、枚数にして十数枚。シーンにして3シーン。最初の撮影は、マジで腕が震えた。詳しくはこちら(現在リンク工事中)。
 帰宅後、腰が痛くて痛くて、風呂にも入らずにひっくり返った。翌日も痛くて動けず、ひたすら寝る。3日ほどしてようやく普通の痛みになってくる。まだまだ、まだまだ、復活は遠いようだ。観念した僕は、今までかすかな希望として取っておいた、9月のアラスカへの予約(なななんと!この期に及んで、まだ諦めずにキープしていた!)を、全てキャンセルしたのだった。
 「山険しく、道遠し」。やはりそう実感せざるを得なかった。。。
 術後約3か月めの診察。X線写真を撮って、たんたんと診察を受ける。ひとことで言えば「順調」らしい。
 現在の症状としては以下のような感じである。@相変わらずの前屈不能。腰も痛いが、何より痛めていた右足の裏が突っ張って、膝までくらいしか前屈出来ない。A重量のある荷物を背負えない。普通のディパックにちょっと荷物を入れて背負うと、翌日には腰に痛みが出て、歩くこともままならない。B常にあるやや強い腰部の痛み、右足フトモモ裏の痛み、そして右足先の軽いしびれ。
 先生曰く、これらの症状があったとしても、一般日常生活をする上では「順調な快復」であると言う。しかし写真家への道半ばの僕には、日々不快この上ない症状である。痛みが気になって機材を持ったり撮影に行ったりする前に気力が萎えるし、第一精神的に集中できない。ましてや、この頃は手術直後のような、例えば「昨日立てなかったのが、今日は立てるようになった」というような劇的な快復が目に見えなくなってきていて、精神的に「このまま良くならないのではないか。」という不安が日々襲ってきている。これからは肉体的快復に加えて、精神的な持久力、耐久力が試されることになるのだろう。そう思うとより一層気が重くなるのであった。
2005年9月11日
 術後二回目の撮影に行く。今度は一人で。カメラ一台とレンズ一本は相変わらずである。マクロレンズを使用し、草花を撮影する。もっとローアングルで撮りたかったが、腰が曲がらない。ちくしょう!地面に這いつくばって撮影した。
 軽い山道を行ったつもりが、一時間もしないうちに腰に痛みが。。。帰り道も考えて早めに下りに向かった。下るにしたがって腰の痛みが増してくる。最後は祈るようにして車までたどり着いた。そこで、雨。結構降ってくる。早めに下山して良かった。一方で、見上げた空のように、僕の気持ちは重かった。
2005年9月25日
 術後2ヶ月半(退院後1ヵ月半)を過ぎた頃からスポーツクラブへ通って筋トレをしている。というのは病院では積極的なリハビリを教えてくれないからだ。とりあえず、の日常生活復帰まではリハビリを教えてくれるが、退院した後はほとんどノーチェックなのである。この点は「より以上の」生活を目指す多くの人が困っているのではないか。
 しかしこれではいつになったらザックを背負えるか分からない。人任せでは駄目だ、そんな危機を感じた僕は、近所のスポーツクラブでトレーナーに教えてもらうことにしたのである。スポーツクラブの料金とは別にトレーナー料金を払うのは経済的に苦しいが、安全確実にリハビリを進める上でやむを得ないことだと判断した。トレーナーについてもらうのは週に一回。週3回通うので、後は自分で確認しながらのリハビリ筋トレである。(某有名スポーツ選手は、「1年間運動禁止!」と言われていたのを術後3ヶ月で筋トレ開始したと言っていたが、僕はそれより早いペースである。僕が自分の人生にどれだけ危機感を持っているか、ご理解いただけると思う。)
 実際に行ってみると、いろんなことに気付く。まずは自分の筋力の衰え。最初は一般人レベルに程遠いレベルだった。長い闘病生活はこんなにまで、自分の体を弱めたのか。目に見える数字(重量○○kgとか)で見ると、とても悲しくなった。
 また、目に見えない屈辱もある。Tシャツを着て、コルセットをはめて、さらにその上にもうもう一枚シャツを着ているので外見はフツーに近い。そうした外見で、隣に座った女の子よりかな〜り低い荷重であるのはなんとも恥ずかしかった。トレーニングは自分との闘いであり、他人の目は関係ないと思いつつも、ついつい情けなくなるのは否定しようがなかった。
 それからこれはよく言われることだが、筋トレは飽きるし、第一つまらない。僕もそう思う。昔サッカーをやっていたときもそうだったのだが、僕は実践派。ボールがあればとことん走るが、単なる「持久走」みたいのは大嫌いで、走ってる最中に「なんで走らなきゃいけないのか。。。」と思って歩いてしまう人間なのだ。つまり目の前にニンジンがないと走らない単純な性格なのである。こんな僕には、筋トレはやっぱりつまらなく思えて仕方がない。
 しかしこれはどうやら僕だけではなさそうだ。大体夜の同じ時間に行くのだが、ほぼ2週間程度で「いつもの」メンバーがかなり変わる。つまり、みんなも最初は気合を入れて来るのだが、早晩飽きてしまい、来なくなるのだ。「スポーツクラブ」といえばイメージ的にイイ感じがして、ナカナカ格好良さ気なので「ひょいっと」来るのだろうが、みんな現実には面白みがなくて、或いは早々に飽きて止めてしまうのだろう。(もちろん、中には「毎日筋トレしなきゃ気持ち悪い」みたいな種族?もいて、そういう人たちも数人いることはいます。)
 僕はリハビリというやむを得ない事情があるのでしぶしぶ通っているが、このしぶしぶがいけないかもしれない。トレーナーにも「筋トレ好きにならないとリハビリも早く進みませんよ」と言われるが、どうもコレだけは。。。この精神的ストレスをどう解消するか。どうやら精神的にどう自分をコントロールするかが重要になるのは間違いなさそうだ。
 この件に限らず、「全ての苦難は、将来の自分の糧となる」そう思い込ませる術を手に入れなければ、毎日が苦痛で仕方ない。何かいい方法はないだろうか?”positive thinking”の持ち方を模索の日々である。 
 9月下旬から「事件」が重なり、自分のリハビリ、筋トレに集中できない。リハビリの場合、まずは第一に諸環境を整えてそれに打ち込む環境を作る必要がある。しかしその環境がいろいろ乱れてきて、うまくいかない。睡眠時間すらとれず、毎日4時間くらいの睡眠どいうありさま。諸事情はここでは話せないが、週3回のスポーツクラブ筋トレすら行けなくなっている。
 これは先にお話したような「飽きた」とかじゃなくて、諸事情が許してくれないのだ。僕は行きたくて、リハビリしたくてしょうがないのに!人生不調なときはこうも悪いことが重なるのか、と精神的に追い詰められている。ここは自分の「器」が試されていると思って耐えるしかないだろう。何度も何度も自分に言い聞かせる。
2005年10月11日
 久しぶりにスポーツクラブへ。いつものとおり1時間半程度。だがやはり相当筋力ダウンしていた。悔しい。本当に悔しい。本当はリハビリに集中したかったのに!10日リハビリを休むと、その時点の筋力に戻るのに20日はかかる。もともと弱くなっていた体の裏側の筋力が、まったく20日前くらいに落ちてしまった。最近心身ともに弱っている僕は、さらにさらに落ち込んてしまった。
2005年10月18日
 先週はなんとか週2回スポーツクラブへ行けた。気分転換も兼ねて、思い切ってコルセットを外して筋トレしてみる。多少のハリはあったが、痛みはない。ほっと一安心。
 今日からバーベルを担いだスクワットをはじめる。はじめは芯棒だけの無荷重で、次に5kgの荷重で。10回×3セット。なかなかいい感じだ。かなりうれしい。このバーベル挙げスクワットで、30kg=いつも背負っていた機材の重量が挙げられれば、筋トレは「卒業」とも言われた。新たな目標ができた。「ニンジン」が見えた僕には、ちょっと明るいが見えてきた。少し気分も上向く。
2005年10月21日
 なんとか下降局面を打開するため、初めて本格的単独撮影に出かける。車に機材を積み込み、2泊3日の泊りがけで撮影を敢行した。筋トレもバーベル挙げスクワットまで到達したし、何より精神的に参ることが多かったので思い切って出かけてみた。
 距離は往復500キロ圏内。以前の僕なら「普通」の距離だが、1年以上のブランクがある今となっては大変な冒険である。折りしも紅葉の季節。500キロ圏内の撮影できそうな地点を入念に調べて出発した。
 結果は大成功。見るもの全てが美しく感じられ、まるで生まれ変わったようだ。美しい自然に心打たれた。まだまだ僕の心は死んでいないし、さび付いてもくすんでもいないじゃないか!そう思うとが溢れそうだった。
 カメラや三脚のセット、フィルム交換等、思い出せなくてまごつくことも多々あったが、それはそれで仕方がない。そんなことより再び自力で撮影できる喜び。美しい景色を、美しいままフィルムへと写しこめる喜び。
 時間はあっという間に過ぎていく。いつの間にか夕暮れ。そして野宿の夜。誰もいない。音もしない。「しーん」という音のない音が聞こえてくる。真っ暗な闇夜が訪れる。いままでの苦しみや悲しみがすべてその闇に吸い込まれていくようだ。なんという至福の時間。僕は夢も見ることなく爆睡した。
 2泊3日でフィルム26本。これまでの無念を晴らすかのように撮りまくった。撮影結果はこちら(現在リンク工事中)へ。
2005年10月25日
 腰の状態はあまり悪化していないようだ。少しハリがあるが痛みは無い。安心した。バーベル挙げスクワットの荷重を10kgに増やした。このままうまく軌道に乗ってくれれば、光は現実になるに違いない。希望の光が見えてきた。 
2005年10月28日
 再び先週と同じ場所に撮影に行く。日程も同じく2泊3日。紅葉はピークを過ぎた。取って代わった晩秋の風景が美しい。重厚な寂しさが心を打つ。先週と違う心で、だが同じく撮りまくり、フィルム20本余撮影。
 しかし今週は3日目に腰に疲労感が出て、痛み始めた。帰りの運転はかなりきつく、帰宅後はベッドに倒れた。まずい。やはりまだこの行程でもきついのか。少し不安になる。その日は疲れてすぐ寝てしまった。
 トレーナーの提案でバーベル挙げスクワットの荷重を20kgに増やす。かなりキツイ!腰に直撃の重さだ。痛みも少し。トレーニング中に痛みを感じるのは初めてだ。まずい予感がするが、大した痛みでもないのでそのままトレーニングを続行する。
2005年11月4日
 祝日だ。最近少し腰の具合がよくない。少し痛む。2週連続の撮影はきつかったか?1日の20kgバーベル挙げスクワットが駄目を押した格好だ。一日静養を決め込む。
 しかし!またまた事件が。。。自分の意思に反してやむなく1日中車を運転せざるを得なくなり、腰を休めるどころか、さらに酷使してしまったような。。。
2005年11月5日
 腰の状態もあり、往復200キロ程度のところに撮影に行く。しかし。。。
 再び下降局面のようだ。まず精神的な面。先週、先々週と生まれ変わったように思えたものの、今週はなぜか心に響かない。
 紅葉の時期が早かったものあるが、欲張って「うまく撮ろう」という意識が出すぎてるように思えた。こういうときはいけない。自分の中の虚栄心が表に出てきて、ロクな写真にならない。ファインダーを覗いても心に響く窓はなく、ただその焦点距離の風景が見えるだけだ。このままシャッターを押しても駄作の大量生産で終わるだろう。 それに気付いた僕は、早々に引き上げることにした。1枚もシャッターを切らずに。
 だが。。。帰りに腰に痛みが来た。我慢ならないほどの痛み。なんとか帰宅したが、もう歩きたくない感じ。やはりまだ無理は禁物なのか。ようやく上昇局面に来たと思ったのに。
 リハビリの道は上り下りの連続だ。肉体的試練だけでなく、精神的試練を乗り越えるだけの力がないと、巨大かつ険しいその山を越えることはできない。
 アタマでは理解していても、なんとも押さえようのない悔しさ、無念さがこみ上げてくる。「耐えろ!」自分に言い聞かせるこの言葉も、もう何百回目か?疲れた僕は、またまた寝込んでしまった。
 痛い。もう10日も痛い。どうしたことか?11月1日に20kgのバーベルを挙げてから、どうも不調だ。土日の撮影どころではない。一刻も早く横になりたい。そんな不快感。やっぱり僕の腰はもう駄目なのか?写真が撮れたのは、撮影に行けたのは、あの希望の光は、一瞬の幻なのか?ここ数日全天を覆うがごとくの不安が渦巻いている。横になり、好きな音楽を聴いて心を静めようとしても落ち着かない。なんともいえない「あせり」のような気持ちが湧き上がってくる。こんなときは何もしないで、眼をつぶってみよう。何かが見えるまで、眼を閉じてみよう。気持ちを抑えつつ、横になる。ただただ横になるしかない自分。自己嫌悪に陥る。これもまた、夢への試練なのか?
2005年11月27日
 この2週間撮影を自粛し療養。おかげで少し良くなった気がする。スポーツクラブでの筋トレも、1ヶ月前と同じくらいのメニューをこなせるまでに快復してきた。腰部は相変わらず弱いが、そこを除けば、筋力はもう一般人を上回っている。このまま行きたいところだ。とりあえずひと安心した。
 ところが!現実はそんなに甘くはなかった!なんと昨日夜から再び痛い。30分と立っていられないほどの痛みが。。。今朝は痛みで起き上がることが出来ず、昼まで寝込んだ。せっかくの日曜日なのに!
 実は昨日、1年ぶりにカメラを入れたザックを背負ってみたのだ。645判カメラ一台、超広角ズームレンズ、望遠ズームレンズ、望遠レンズ、マクロレンズ各1本。合計15kgくらいだろうか?100mくらいは歩いた。そのときは、感激のあまり、感覚がなかったのかも知れない。全く痛みは無く、ザックを背負えた喜びで、何もかも忘れていた。「これは行ける!」そう思った矢先のことだ。
 んー、うまくいかない。また逆戻りか?焦りと苛立ちだけが募っていく。。。
 調子の浮き沈みの激しさを鑑みるに、遅まきながら、「まだまだ腰の状態は予断を許さず、楽観できない状況である」ということを自覚した。無茶がたたるタイプの僕は、ようやく「調子こいて何かを始めようとすると必ず痛みが伴う」ことを体験的に覚えてきたらしい(遅いか?)。
 よって、12月に入ってから撮影には行かず、ひたすら我慢の日々を過ごしている。筋トレと日常歩行にて基礎体力を鍛える方向に変更したのだ。世の中はいろいろ忙しい季節だが、僕は遊びにも行かず、酒も飲まず、週3回の筋トレ、毎日のストレッチに集中している。
 おかげで最近は調子が上向きだ。体調も良い感じ。11月1日に20kgのバーベルを持ってから約1ヵ月間ずっと下降局面だったが、12月に入ってから持ち直し、今では15kgのバーベルスクワットなら、腰も痛むことなく挙げられるようになってきた。当然以前のように調子こくこともなく、前後日にはきちんと体調管理をするようにしている。
 この土日もどこへも行かず、筋トレと静養に勤しんだ。世間が何かと忙しい時期だけに少し寂しいが、まだまだ耐えなければならない。「今は何も見えないこの道も、必ず光の差す方向に向かっている」そう信じて歩くしかない。
 「光の差す方向」といえば、腰を痛めつつ撮影したこの秋の写真が整理できつつある。我ながらなかなかのデキだと思う。ピントやブレについては体力不足もあり、以前のようにはできていないが、被写体へのアプローチという側面では、より深い眼で被写体が見れるようになってきた気がする。
 ようやく20kgのバーベルスクワットに成功。1か月半ぶりだ。今回は慎重に体調を整えての再挑戦だったため、前のような痛みは出ない。1回調整に失敗するとこんなにも遠回りするのか。。。改めてリハビリの難しさを実感した。
 同時に「腰の部分を除けば、もう一般人並かそれ以上の筋力レベルにある」と言われた。ようやくここまで来たか。。。手術してから7か月。ここまで本当に辛く長い道であった。しかしこれが終わりではなく、新たな段階の始まりに過ぎないのも事実。あくまでまだ「一般人並み」に過ぎないのだ。30kgの機材を背負って、厳寒の荒野を自力のみで放浪できる体力を作らねばならない。そう思うと、安心というより、更なる不安のほうが勝っていた。
 世間ではクリスマスモード全開である。僕はこの3連休を利用して、新たなる挑戦だ。冬季の撮影である。冬の撮影と言っても、道路からラクラクで写すのとは違い、僕の場合は雪原に分け入るのが当然の撮影。スノーシュー(西洋カンジキ)を履いて、フトモモまで雪に埋もれつつ、まだ誰も見たことのないであろう世界を探すのだ。
 とある雪深い場所まで行く。まだ重量ザックは背負えないので、とりあえずナップザック程度を背負うことにする。装備を確認。この世界に戻ってこれたことがうれしくてたまらない。2年ぶりの雪の世界。気合十分だ。僕は慎重に、というより、喜び勇んで、雪の踏み固まった登山道から吹雪の雪原に踏み入れた。ところが。。。
 1歩目。ずぶりと雪にはまる。膝からフトモモのちょうど中間くらいまで埋まった。いい感触。この感触がたまらない。2歩目。また同じくらいはまる。よし、3歩目だ。ところが。。。1歩目の足が雪から抜けない。。。3歩目を行くには、1歩目に雪に埋もれた足を抜き出して、前に進まなければならない。ところがその1歩目が雪から引き抜けないのだ。思いっきりよろけた。と同時に、腰に痛みが!なんとか足を雪から引き抜き、3歩目着地。そして四歩目を。ところが。。。またもや2歩目の足が引き抜けない。今度は無理矢理でも引き抜くことができず、足を前後に開いたそのままの体勢で固まってしまった。
 その時。えたいの知れない恐怖に襲われた。「このまま進んだら、帰って来れないではないか。。。」こんなことを感じたことはなかった。
 北海道の厳冬期撮影でも、アラスカの厳冬期撮影でも、そんなことを感じたことは全くなかった。装備といい、体力といい、万全の備えをして望む厳冬期の撮影では、不安を感じることはあっても、恐怖に身が固まるなどということはなかった。なんとも表現し難い恐怖を感じるのは、全く初めての経験であった。
 こうなると、もう前には進めない。しかも腰が痛い!雪に埋もれた足を手で掘り起こして、元の道に戻る。といっても、わずか3歩。わずか3歩で敗退である。これは精神的にかなりこたえた。車まで戻ってくる間、そして戻って暖房を入れて温まる間、ずっと恐怖に震えていた。まさかこんなことで!情けなさと同じに、僕はショックに打ちひしがれた。もうその場には居られなかった。即刻帰ることにする。そのショックは、夜自宅に戻ったとき、どこの道を通ったか記憶にないくらいのダメージであった。。。
2005年12月24日
 当たり前のように腰が痛い。明け方に腰が痛くて起きた。眠れない。昨日のダメージは、心身ともに大きすぎた。3連休の目論みはあえなく大失敗となり、イモムシのように布団にくるまるしかなかった。今日はクリスマスイブ。温かい毛布にくるまれたであろう、イエスキリストとは、とても同じ心境になれない夜となった。
2005年12月25日  今日も痛みで目が覚める。しかししばらくたつと、昨晩より少し調子が良い感じがする。これは1か月前とは大きな違いだ。昨晩の調子だと、一か月前だったらしばらく寝込まなければならない痛みだった。でも今日は違う。だいぶいい感じだ。午後からは散歩も普通にできた。まだ望みはある。少しでも希望を見出すには、自分自身でそう思い込むしかなかった。
2005年12月29日
 2年前ならとっくに旅に出ている年末年始。昨年に引き続き、今年も遠征を回避せざるを得ない(泣)ニュースではあちこちで大雪の話題。行きたくて行きたくてしょうがない。腰の調子はだいぶ回復してきたとはいえ、ここで行ってしまったら、この腰の具合では「鉄砲玉」で終わるだけだ。玉砕は目に見えてる。100パーセント帰って来れないだろう。どこにも持って行きようのない気持ち。ストレスはたまる一方だ。なんともやりきれない気持ちが充満している。
 この日、写真展のときに世話になった人に慰められた。それでも気持ちは明るくはならなかったけれど、その人の気持ちはとてもありがたかった。ひとりではない、と感じることができたから。とても難しいことではあるけれど、感謝の気持ちは忘れずに生きていかなければ、と思った。
2005年12月30日
 もう一週間前の体の痛みはないので、年内最後のスポーツクラブへ行く。筋トレを1時間半。いま自分にできることをやるしかない。黙々とこなし、帰宅する。一方で心のショックはまだまだ引きずっている。白い雪が怖くてしょうがない。夢にまで出てくる始末だ。帰りにため息混じりに見上げた夜空は、ただただ真っ黒だった。
2005年12月31日
大晦日。何もする気が起こらなかったので、何もしなかった。夜9時に寝た。いつもどおりに。気が付くと→
2006年1月1日
 年が明けていた。しかし、自分の体調も、気持ちも何も変わっていなかった。。。ので、急に思い立った。朝5時。「車で行けるとこまで行ってみよう!」落ち込んでばかりでは居られない。地球は回っているのだ。
 とりあえず撮影機材は積んだ。しかしまだ冬の撮影ができる状態ではないのは百も承知。雪道運転の練習のつもりでGoだ。目指す日本海側は、大雪のニュースで持ちきり。ここは是非とも目指してみたい。
 福島を抜け山形へ。道の両側の雪は僕の背より高い。まさしく大雪。2年ぶりのスノードライブ。車のすべり具合が非常に気になった。ときどきひやりとする。しかし運転感覚を取り戻すのには、大して時間はかからなかった。カラダで覚えたものは、そう簡単に忘れないのだろう。少し安心した。
 到達距離は今までの記録更新だ。一気に500kmは走っただろう。道の駅で車中泊。寒さも忘れ、疲労でこれまた一気に眠りに落ちた。。。
2006年1月2日
 起きぬけ腰が痛い。まあしょうがないか。朝4時起きで、前日に狙いを定めた山腹に行く。狙いどおり、いい景色だ。誰もいない。これこそ僕の境地。あたりは雪がちらほら。全く音のしない世界。僕は喜びに溢れて撮影に臨んだ。とはいってもまだ機材は担げないので、道路端から数十m離れたところに、カメラ1台レンズ1本のセットで行っただけ。情けない。本当はもっと遠くに、もっと奥地に行きたいのに。。。
ってなわけで、いつもと違う状況のため、無音の世界はすぐに破られた。雪の中、道路の向こうの方から歩いてくる人が居る。ほっかむりの爺さんだ。手には酒か?年始の挨拶でも行くのだろうか?この大雪の中を、朝早く、車ではなく歩きで???道路まで戻った僕に、深々と一礼。僕は小さくお辞儀。恥ずかしかった。本来ならば僕から挨拶すべきだった。普段社交辞令で汚れている自分の精神を見透かされたようで、そんな自分を思いっきり恥じた。
しかし朝早くに、知らない土地で、知らない人と、こんな出会いがあるとは。今年はいいことあるかも知れない。再び自分に言い聞かせた。
朝の撮影が終わると、帰宅を急いだ。撮影フィルムわずか1本半。本当はもっと居たかったが、スポーツクラブのトレーナーとの約束で、「行けても一泊まで!」と言われているからだ。腰も少し痛いし。ここで無理はするな!復帰をあせる自分の気持ちに無理矢理ストップをかけて、家路についた。
2006年1月8日
 昨日から3連休が始まっている。遠征に出かけたいところだが、ここはこらえて踏みとどまり、あえて筋トレを忠実にこなすことを選んだ。正月に山形まで行けたからといって、ここでまた調子こいて大失敗することだけは避けたかったからだ。この連休は腰を休めたほうがいい、そう決断した。またストレスを抱え込むことになったが、ここは我慢しかない。
代わりにといっては何だが、友人に招待された和太鼓の演奏を聴きに行った。和太鼓をマジメに聴くのは初めての経験だった。その迫力ある響きにも感銘を受けたが、それより何より、演奏するその友人の輝く表情に驚かされた。普段でも十分魅力ある人だが、その表情は、いつもにも増して輝いていた。それはまさしく、自分の好きなことを一生懸命している人間の、生命の輝きであった。演技でも何でもなく、その懸命な努力の賜物が表出した、誠に美しい表情であった。
僕は2年前、アラスカで写真を撮っているとき、「大野さんの表情がとてもよかった。目が輝いていた。その顔に心を救われました。」と言われたことがある。僕の表情も、まさしくこの日の友人と同じような輝きを放っていたに違いない。この言葉を言われたとき、僕はとてもうれしくて感激し、こちらのほうが救われた気がしたのだった。
ところが今の僕の表情はどうか?正直言って、自分の写る鏡を正視できない。毎日苦しそうな表情をしている。カオを作れない不器用な僕だが、コレばかりは毎日嫌だ。いつか僕も輝きを取り戻せるだろうか?どこまで頑張れば、あのように笑えるのだろうか?友人の宝石よりも美しい輝きに感動しつつ、自分の行く末に不安を隠せなかった。
2006年1月9日
 昨日の友人の輝きに触発されて、僕も挑戦をしてみた。昨年12月23日に惨敗・撤退した、スノーシューイングに再挑戦である。恐怖は早めに取り除いておかなければならない。そうしないと、どんどんその恐怖が大きくなって、もう挑戦できなくなってしまう。幸いにして今日は快晴。雪辱には絶好の天候だ。
今回は前回よりもずっと雪の少ない地点を選んだ。気温−10度。僕にしては「普通に寒い」程度。水筒と昼飯だけ入れたナップザックを背負う。スノーシューで踏み入れる。足首程度まで埋まる。ちょっとおっかなびっくり。でも今度は大丈夫。それ以上足が埋まることもない。1歩、2歩、3歩。大丈夫だ。慎重に雪の上を歩く。最初はぎこちなく、雪の払い方なんかうまくいかなかったが、これもカラダで覚えたこと。そのうちなんとなくそれっぽく歩けるようになってきた。息を切らし、埋まらないように気を遣いながら慎重に歩く。埋まってもスネあたりまで。今回はうまくいきそうだ。ボチボチ2km、3kmと歩く。結局4〜5kmくらい歩いただろうか?時間にして3時間。なんとか歩けた!荷重がなく、降雪もなかったものの、雪への恐怖を少し和らげることができた。機材なしのため、撮影はもちろん無し。さらに機材を背負って撮影できれば最高だったが、これはこれで満足だ。やはり何事もはじめの1歩からの挑戦だ。来週は何ができるだろうか?いや、どこまで前に進めるだろうか?僕の未来は依然として吹雪の中だけれど、とにもかくにも前に歩を進めるしかない。そう自分に念じるのだった。
 某写真展を観に行った。さすがは有名団体の写真展だけあって、来場者多数。かなりの賑わいだった。しかし不思議なことに、どの写真も全く僕の心に響かない。正直言って何の感動もなかった。あれ?どうしたんだ?僕の心は枯れてしまったのか?写真美を感じる心がなくなってしまったのか?内心すんごくあせった。そしてなんとか「感動」しようと、再びよくよく眺めてみる。
ところが。。。それでも全く感動しない。本当に心が動かないのだ。なんかヤバイ!これだけ多くの人が見に来ている有名どころの写真展なのに?僕には写真のセンスなんてものはなかったのか?写真家への道もこれまでか?
あー駄目だ。全く駄目だ。俺は「写真」を感じることができないんだ。。。もう感受性なんてものはなくなってしまったんだ。。。と、落ち込むばかり。
少し気を取り戻して、受付に座っている二人組のおじさん(出品者らしい)に聞いてみる。「あのー、○○番の写真ってどこですか?」実はこの写真展は、出品している人の一人から案内状を頂いたので観に行ったのだ。もらったパンフに、その人の写真の番号が記載してあったため、ちょっと聞いてみた。
ところが。。。
受付のおじさんは、「はぁ?番号?どれ?あー、番号ってのは、ないねえ。」とぶっきらぼうなお答え。そのおじさんは、再び隣にいたおじさんと夢中で話し出し、僕はそのまま立ち尽くさざるを得なかった。
ははー、なるほど。ここでよく分かった。たとえ有名団体、有名写真家の写真展といえども、僕の心が全く感動しなかった理由がよく分かった。
この人たちにとっての「写真」とは、きっと「いい場所で写真を撮り、いい場所で写真展をする」ということだけで終わっているのだ。つまり「いい場所のギャラリー」で展示したことで、もう十分満足してしまっていて、観る人がどう感じるか?なんてことは、二の次なんだろう。あとはどのくらいの来場者数になるか、数えるばかりなんだろう。そういえばそんな雰囲気が無きにしもあらずだった気がする。
しかし僕は、そうじゃないだろう!と思う。写真の存在価値、写真の真髄とは、観てくれた人の心を如何に動かすことが出来るか?観客に何を伝えられるのか?に尽きる思う。これは単に、観る人に迎合するということではなくて、自分の感じた「感動」を、如何にストレートに他者へプレゼントできるか?ということだ。
その点において、写真の作者は、例えば写真展を開催したならば、ご来場いただいた方に如何に感じてもらうか、最大限の努力をしなければならない。そのひとつは展示写真への案内であり、その写真への解説である。その中には、些細なことではあるが、先ほどの番号案内も含まれるのだろう。そこまでして初めて、「写真を撮る」という行為が完結するのだと思う。
僕自身、まだまだ未熟な「写真家」であると自覚している。展示されていた方々と比べれば、写真技術的に、まだまだ至らぬところが多分にあるに違いない人間である。しかし、そういう僕であるからこそ、「写真家とは何たるか?」という心構えだけは、忘れずにしっかり持っていたいと思った。
翻って、このWebサイト。今ご覧頂いている方々に、「写真の魂」をうまく伝えられているだろうか?Web作成技術の未熟さもあり、甚だ不安ではある。僕自身としては、精一杯の努力をしているつもりであるが、至らない点、改善したほうがいい点、もしあれば、是非アドバイス頂けるとありがたく思いますm(。。)m 
2006年1月15日
 先週に引き続き、スノーシューイングに挑戦。今日はなんと!初めて重量三脚(GIZZO5型=重量4〜5kgくらい)を担ぐ。これにPENTAX645ボディーと、マクロ、超広角をあわせて10kgくらいか?この重量は初めての挑戦である。
スノーシューを履き、雪道を進む。もう雪に対する恐怖はあまりない(完全に消えてはいないところが悲しい)。今日は雪が湿っていて重く、足腰にかなりキツイ。それでも3時間で6〜7km走破。
金曜日の写真展を観て、またまたすんごく悔しくなっていたため、「今自分にできることをしっかりやろう」と、念じ続け、ただひたすら歩き続けた。ただし歩くのに精一杯で、写真を撮る余裕はなかったのだけれど。。。
終了後、腰の痛みもあまりなく、かなり安心した。少しは前進できたかな?と、久しぶりにちょっと自分を慰めたのだった。
2006年1月22日
 この土日はかなり腰の痛みが出た。歩くのさえ、辛いくらいだ。スポーツクラブで「そろそろ腰の回転をやってみてもいいでしょう」と言われ、土曜日にそういうトレーニングをしたからだろう。いつかは通らなければならない「関門」とは言え、痛みが出るとやはり気持ちが萎える。当然遠出は止めた。「もう駄目に違いない!」と、とことんまで落ち込む。布団にくるまって考え込んだ。
そんなことをしてるのは精神的に良くないと思い、近所に散歩に出る。本屋に行く。立ち読みをする。写真雑誌。アラスカの写真が載っていた。オーロラの写真だった。素晴らしい写真だった。しかしなぜか反射的にそのページを閉じ、放り投げるようにして本屋を出た。
悔しさがこみ上げてくる。無力な自分が情けなくなる。どうにもならない気持ち(というか腰)を抱えて、家路についた。「もう駄目なんじゃないか?」こみ上げてくる涙、じゃなくて!腰の痛み。とっくにもう、涙の出る状態を超えている。この先どうなるのか?どうしたらいいのか?僕には全く分からない。
 突然ですが。。。近々、僕はついに、初の厳冬期長期遠征に出ることになりました。つまり!あの酷寒の地へ戻ることになったのです!今回の撮影は、生涯で一番厳しいものとなるでしょう。地獄絵図かも知れません。しかし。。。いろんな意味で、超えなければならない壁だと思ってます。場所等はまた追って表明します。とりあえずのご報告まで。
 ついにこの日が来た。
僕は厳冬期のアラスカへ、旅に出る。 -50度にもなる酷寒の高地氷河で幕営し、まだ見ぬ光を待つ。
腰の状態はまだ万全ではない。黙々と筋トレ等のリハビリメニューをこなしてきたとは言え、まだまだ「勝負」出来る体ではない。自己分析的回復率でいえば、50パーセントくらいだろうか。今でも腰は痛むし、自分でもそれは自覚している。できればあと一年、少なくともあと一年、トレーニングに専念したかった。もっともっと長期的に快復を待つべきだった。常識的にもそうだろう。
しかし。。。
僕の心はそれを待つことを許さなかった。 お世話になっているスポーツクラブのトレーナーさん、理学療法士さん、友人。いろいろな人に相談してみた。「まだまだ無理」「無茶はしちゃいけない」「まだまだチャンスは訪れる」「ここは我慢して来年がんばれ」。。。僕のことを案じてくれた言葉が、乾ききった僕の心に染みてくる。なんとありがたいことだろう。こんな僕を、ここまで落ちぶれた自分を、案じてくれるなんて。
しかし僕はこう言うしかなかった。
「行きたいです。どうしても。」
ここで「来年がんばる」と言ったら、来年まで待ったら、このチャンスを逃したら、自分が壊れてしまうよう気がした。ただでさえ、体が自由に動かないことのストレスで、どうにかなりそうだ。「もう待てない」「無茶するな!まだ待ったほうがいいだろう!」僕の心は今でも闘っている。
だがそういういろいろな感情を超えて、今こそ、旅に出なければならないという心の奥底から湧き上がってくる強い衝動が、暗闇の中で饐えた眼をしている僕を、闇雲に突き動かしているのだ。
-35度、酷寒の北海道での撮影は経験済みだ。Bしかしこの旅は、それをはるかに超えた厳しい旅となるに違いない。無事に帰って来る保証はどこにもない。写真どころではないかも知れない。少なからずの覚悟はしなければならない。今までもたくさんの危機を乗り越えてきたが、今回は、最も危険な旅になる気がする。
しかし。。。
今僕は、全ての感情を超越して、旅に出る。 いままで応援してくれてありがとう。助けてくれてありがとう。
僕は今、僕自身の未来を掴むために、新たな旅に出る。

Presented by Naruo Ohno
Copyright © Naruo Ohno All Rights Reserved.
DO NOT COPY.

ルース氷河滞在記へ

こちらより、作者への激励のメールをお待ちしています。

BACK TO DAIRY 日記トップへ戻る


1